ShaneM’s positive vibes

37歳男。ライフハックについて情報発信。

御文章 白骨の章

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昨年、母親を亡くしました。乳癌でした。

 

母親を亡くすのはとても辛いことです。

 

64歳でした。

 

上司の計らいで、最期をみとることが出来ました。

 

夜中に息を引き取ったのですが、病院は慣れているのであっさりしています。

夜中に葬儀屋に電話して、葬儀屋が車を手配してくれて、自宅に運びました。

 

通夜、葬式を淡々として、ビールなど飲んで親戚としんみりしたりしました。

一般的な葬式です。

 

初七日まで済ませたのですが、通夜からなんどか聞いたものに「御文章 白骨の章」というのがあります。

 

我が家は浄土真宗なのですが、浄土真宗中興の祖と言われる蓮如上人の書いた「御文章」というのが葬式や法事の際に読まれます。それが、心に響いたというか。

 

白骨 (御文) - Wikipedia

 

それ、人間の浮生[2]なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終[3]まぼろしのごとくなる一期[4]なり。

されば[5]、いまだ萬歳[6]の人身[7]をうけたりという事を聞かず。一生すぎやすし。今に至りて誰か百年の形体[8]を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁し[9]と言えり。

されば、朝[10]には紅顔[11]ありて夕[12]には白骨[13]となれる身なり。すでに[14]無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李[15]の装いを失いぬるときは、六親眷属[16]あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙[17]となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり[18]。されば、人間の儚き事は、老少不定[19]のさかいなれば[20]、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ[21][22]

 

それ、世間のことがらの浮々(うかうか)として定まりの無いありさまをよくよく考えて見ますと、およそ何が儚(はかな)いかと言って、人間の生まれてから死ぬまでの間、幻のような人の一生ほどはかないものはありません。

それゆえに、いまだ一万年の寿命を授かった人がいたなどということを聞いた事がありません。人の一生涯は過ぎ去りやすいものです。今までに誰が百年の肉体を保ったでしょうか。〔人の死とは、〕私が先なのか、人が先なのか、今日かもしれないし、明日かもしれない、遅れて死に、先立ってゆく人は、草木の根元に雫(しずく)が滴(したた)るよりも、葉先の露が散るよりも数多いといえます。

それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕暮れには白骨となる身であります。もはや無常の風が吹いてしまえば、たちどころに眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまう、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、すべての親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事もできません。

そのままにはしておけないので、野辺に送り荼毘(だび)に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、ただ白骨だけが残るだけです。哀れと言っただけでは言い足りません。世間のことのはかない事は、老少(ろうしょう)不定(ふじょう)の境遇でありますから、どのような人も後生(ごしょう)の一大事を心に留めながら、心から阿弥陀仏を恃(たの)み申上げて、念仏申すべきであります[23][22]

 

宗教なので、阿弥陀仏に帰依し、浄土真宗なので、ひたすら念仏しなさい、ということになるのですけど、私が感じたのは、時間の大切さです。

 

母親が亡くなったのもあって、改めて人生有限なんだな、ということが響きました。

 

これまで葬式やら法事やら出ているからこれ自身はなんども聞いていたと思うのですけど、自分に響いたのはこのときです。

 

私は別に信心深くもないですし、いわゆる葬式仏教というか、多くの日本人の人が持っている宗教観と大差ないと自分では考えております。

 

お墓には手を合わせて、人が死んだら葬式で手を合わせる、というような。普段は別に仏様のことなど意識しません。神社に初詣にもいくし、お寺にも行きます。クリスマスも祝います。

 

そんな私ですけど、ひたすら念仏唱えるのではなく、人生が有限であること、人はいつか死ぬのだということ、一日一日を大切にしようと思えるこの白骨の章。

 

私はジョギングから帰ってきて毎日シャワー浴びながらYouTubeで聞いています。

 

宗教を進めたいわけではなく、時間の大切さを実感させてくれる言葉とか音楽とか儀式とかあれば、それを実践してみると時間の節約に繋がると思います。